徳守神社公式サイト 徳守フェイスブック

御 祭 神

天照皇大神

国常立尊 伊弉諾尊 月 読 尊 誉田別尊

由 緒

森忠政公造営者 森家家紋

当神社は聖武天皇の御代天平5年(733)の創祀と伝えられている。社地は当初現在の津山市小田中の地にあったが、天文8年(1539)火災に遭い社殿 宝物等悉く焼失した。慶長8年(1603)美作の国18万6500石の国守大名として入封した森忠政公(森蘭丸の弟)が津山城を築くにあたり、翌9年(1604)現在地に移して津山城下の総鎮守とした。

現在の社殿は寛文4年(1664)2代藩主森長継公が改築したもので明治5年に県社に列せられ、その後昭和31年に県指定の重要文化財に指定された。

氏子は津山市の中心部56町内にわたり作州第1の大社である。例祭(秋祭)のお神輿ご巡幸は、供奉300人を越え全長500メートルの行列になる。またこの神輿は縦横1,7メートル高さ8メートルでその重さは約1トンにも及ぶために交代要員も含め、担ぎ手は170人を必要とし、その規模の大きさから日本三大神輿の1つといわれている。

「徳守」の社号は勅使として参向した清閑寺大納言藤原徳守の名に因むといわれるが定かではない。

境内末社の善神社(祭神 お花善神)は、津山藩森家の家老原十兵衛に仕えた美女お花が横死し、その霊を慰めるために祀られた社で婦人の守り神として知られ、特に逆境にある女性に霊験あらたかである。

境内に赤穂47士の1人神崎与五郎則休の歌碑「海山は中にありとも神垣の隔てぬ影や秋の夜の月」があるが、神崎与五郎はもと津山藩士であり徳守神社を深く信仰していた事が伺い知れる。

【 ご 利 益 】

開運厄除 健康 子供守護 安産 厄災消除

交通安全 家庭円満 金運成就 商売繁盛 良縁成就