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徳守の大神様は伊勢神宮と同じ太陽の神様です

住吉神社

この神社は伝えによれば天文8年徳守神社社殿焼失の際唯一再建された建物です。その後森忠正公が慶長9年津山城下の総鎮守として、現在の地に社殿を造営しました。その時この地に移築されたと伝えられています。

しかしながらこの本殿の建築構造から建立年代を推定すると17世紀初期に遡ることができ、徳守神社本殿建立と同時期ということになります。この建物の形式は正面一間、側面一間の妻入りで一間の向拝を持ち、正面を入母屋造、背面を切妻造とし、前方に屁をつけた津山市内では最も普遍的な建造物であり、「木偶入春日造」と呼ばれています。現在同じ建築様式で現存している建物としては、八出天満宮本殿(寛永14年1637)や、千代稲荷神社本殿(天保3年1683)【いずれも市指定文化財】(『津山の社寺建築』津山市教育委員会発行)がありますが、これらと比較しても各所に古式をとどめており、数十年は先行するといわれています。

残念ながらこれを証明する資料としての創建札はなく、御屋根修理時のものとして一番古いもので延享4年(1774)あとは近年の大正3年・昭和33年のものが残っているだけなのです。

では、この建物が元徳守神社本殿であったと仮定すれば、森忠政公が慶長9年(1604)に建立した本殿ということになります。現徳守神社本殿は寛文4年(1664)二代目藩主長継公によるものであり、元本殿を住吉神社として現在の地に移築したと考えられるのです。

大正元年編集された『徳守神社誌』にも、

「元禄の頃に記されたとされる境内神社の順位は7番目に記されている神社であり、建物の規模からいっても他の境内神社と比較しても飛びぬけています。元々境内社として建立されたものではないのではないか」

との疑問を投げかけています。

いずれにしても、住吉神社本殿の創建時期は17世紀初期と推定されており、撓いで番目に古い建造物としてその文化的価値は高いと思われます。